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回顧

スタッフブログ 2024.01.18

こんばんは。Job Training尼崎の森です。

遅くなりましたが新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨日は阪神淡路大震災から丸29年、あれからもうそんな月日が流れたのか…と思うとビックリします

今日は当時のことを思い出しながらブログを認めたいと思います。少し長くなるかも知れません。

 

あの日、1995年1月17日の一日前、今も交流のある同業他施設の友人の結婚披露宴と二次会に招かれ大阪ミナミでそれこそ浴びるように飲んでいました。奥さんになられた方は当時私が勤務していた施設に保育実習に来られていたので、祝福のムード満載の会でした。

南海高野線なんば駅からの終電で堺東、中百舌鳥と乗り換え当時住んでいた和泉中央に着いたのはもう日付が変わっていました。

 

家に着いてそのままバタン、で次に目が覚めたらのが朝5時46分過ぎ、和泉市でも震度4あり家に飾っていた置き時計が床に落ち割れる音で目が覚めました。

 

慌てて身支度して当時の職場へ向かいます。この日の勤務は12時からでしたが、そんなことは言ってられません。車で職場に向かう途中、電車が止まってしまいホームに人があふれる泉北高速鉄道光明池駅や泉ケ丘駅を横目に見ていました。

幸い、職場は全く被害ありませんでした。ですが職場で付けたテレビ画面に倒壊した阪急伊丹駅の映像が飛び込んで来ました。その瞬間、全身の水分が退いた感じで職場の電話から伊丹市の実家に電話をかけました。当時は携帯電話を持っている人はそうそうなく、職場の電話を使うことはどうなの?と言うところですが、私は必死にダイヤルを続けました。

午前8時を過ぎた頃でしょうか、奇跡的に実家に電話が繋がり家族の無事を確認出来ました。その時の安堵から来るヒザから崩れ落ちる脱力感は今も忘れられません。

 

未曾有の大震災から29年、あの日以来私の死生観も大きく変わりました。生かされた命、これを私に関わってくれている人のために使わないといけない、それが残された者の使命ではないかと。

 

OMOIYARI PLUS ONEでも関わってる利用者さん、一緒に仕事していくスタッフの皆さん、全ての人達の幸せを願い実現するため、生命の炎を燃やし続けて行こうと考えています。

1月17日、この日が来るたびに改めて自分の心を締め直す機会にしていこうと思っています。

 

長々と失礼しました。最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

株式会社 OMOIYARI+ONE
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