朝、晩が涼しくなり過ごしやすい頃となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。皆さん、こんにちは。オモイヤリプラスワンジョブキッズの桑田です。
先日私は福知山城へ行ってきました。初代城主は明智光秀です。
明智光秀は非常に謎の多い人物です。生年は享禄元(1528)年とも永正13(1516)年ともいわれますが、詳細は不明です。生誕地についても美濃国可児郡とも恵那郡ともいわれますが、判然としません。光秀が歴史の表舞台に登場するのは、永禄12(1569)年頃、光秀が織田信長に仕え始めて以降になります。
織田信長の家臣として、光秀は京都の統治や比叡山延暦寺攻めなどで功績をあげ、織田家有数の重臣となります。天正3年(1575)織田信長から丹波攻略を命じられた光秀は、丹波国人衆の大半を味方につけて、宇津城に拠る宇津氏や氷上郡に本拠を構える、赤井・荻野氏などを攻めます。ところが天正4年(1576)1月になって突如波多野秀治が離反し、光秀は敗走します。その後は口丹波から反勢力の城郭を攻略しながら、八上城に迫り籠城する波多野氏を半年以上に及ぶ攻囲戦の末、天正7年(1579)6月になって陥落させました。その後、鬼ケ城や黒井城などを相次いで落城させ、ついに丹波を平定しました。そして信長から「その名誉は天下に比類なし」と高い評価と称賛を得て、丹波国の支配を任されました。
丹波支配にあたり、福知山後に城を築き、城代として娘婿である明智秀満を入れました。また光秀は短い統治期間のなかで、築城とあわせて地子銭の免除や治水工事を行うなど善政を行ったと伝えられます。光秀はほどなく、「本能寺の変」を引き起こし、「山崎合戦」の後、悲劇的な最期を迎えますが、福知山の民衆は光秀の事績を忘れることなく信奉し、「名君」として現在でも親しまれています。では、
8月がもう少しで終わりを迎えるので頑張っていきましょう。
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